小高さんが後日書いたblogによると、「最近の俺のわけのわかんないツイートは、俺からのせめてものサインというか/別につばきファンの人が俺のツイートを見てるわけでもないだろうけど/何かせめてっていう、気持ちで、察してもらえたらっていうか/とてもまわりくどい話だけど」とのこと。 やはり私の予想は悲しくも当たっていた。 一色さんが亡くなってから、つばきの曲をいつも通り聴いてみるけれど、思い出すのは先輩にもらったMDを聴いていた記憶だったり、CDを買った当時の高校生活だったりして、全然悲しくはなかった。 ただ、小高さんや他の近しい人の話をインターネットで読むと本当にもう居ないんだと思って、悲しくて悲しくて仕方なかった。 今日の深夜に公開された小川さんのblogも、退勤途中に携帯で読んで泣きながら家に帰ってきた。 最後にライブで歌った花火、聴きたかったな。 フジファブリックの志村さんが亡くなった時にも思ったんだけど、亡くなった人が有名人の場合、故人から見て「自分のことを知らない人が自分を思って泣いてくれる」のはどういう気持ちなのかな。 CDは「覚醒ワールド」まではリアルタイムで買っていたけれど、それ以降は人に貸してもらうことが多く、ライブも復活後は全然行っていないし、なんなら1回はラジオ局の招待でタダで観ているし… こんな端くれのファンですけど、つばきが大好きです。これが最後かも知れない、なんて寂しい事を思いながら人に会いたくない。いつだってまた会えると信じてたい。でもただ信じてるだけならお湯を入れてないカップラーメンが出来上がるのを待ってるのと同じだ。 だから俺は、油断すると目を閉じてしまう俺は、ちゃんと、会いたい人に会いにいきたい。
— 小高 芳太朗 (@odakayoshitaro) April 24, 2017
好きな歌詞。 一色さんお疲れ様でした。期待すればするほど 叶わないと傷つくから 時々目をそらしてしまう 「どうでもいい」とか言ってしまうよ 今日もちょっと 嘘をついた pic.twitter.com/dDQ37l1XXw
— ◤163◢ (@r0cks2) May 21, 2017